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学校紹介


沿革

明治・大正・昭和・平成の4代、43,000人を超える卒業生を世に送り国家社会に多大の貢献をしてきたわが学園は、輝かしき伝統を継承しつつ、新時代に向け、大きく飛翔しようとしている。

明治20年 中川横太郎ら数名により、私立岡山薬学校を中山下に設立。これが本学園の誕生である。その後、医薬学校予備門となり、医学界に秀れた人材を輩出する。
明治27年 関東に対し、関西全域の雄として羽ばたくの意をこめて、その名も(カンゼイ)を冠し、私立関西尋常中学校と改め5年制の中学校とする。当時県下で上級学校進学資格を有する中学校は、県立岡山中学校(現:岡山朝日高校)と私立関西中学の2校のみで、中等教育界において重要な役割を果たす。
明治33年 現在地に新校舎を建設、移転。学園祭名物の大障害物競走はこの時の記念運動会に始まる。
明治35年 北米に修学旅行を行う。地方の一中学としては破天荒の壮挙であった。また育英の理念から学業優等生に校章を刻んだ米国ウオルサム社製の銀時計を授与する。旧制東京帝大の銀時計にも匹敵する発想で一私立中学としては特筆すべきものであった。
明治39年 児島郡天城に分校を設立。(現:倉敷天城高校)
大正9年 岡山市内に県立中学校増設の議がおこり、本校を岡山第二中学校として県立に移管せよと要請があったが、これを拒否し、よく私学の権威と伝統を守る。
昭和 5年 宿願のグラウンド拡張工事の完成。堂々たるスタンドを有し、中学校のグラウンドとしては正に無類で本校のみならず、県下の体育向上に貢献する。
昭和19年 戦時下の困難を克服し生徒・教員が労力を奉仕して水泳プールを建設。
昭和23年 学制改革により高等学校とする。関西高等学校財団を設立し、学園の経営はあげて校友の手に移る。
昭和26年 私立学校法の制定により、学校法人関西学園を設立。以後の飛躍的発展の礎とする。
昭和27年 商業科を併設。産業人育成にも貢献する。
昭和37年 電気科を併設。ここに普通・商業・電気の三科を含む総合学園とする。
昭和42年 創立80周年を記念して、正門正面に「敢為」の大鷲像(難波聖爾作)を建てる。
昭和45年 市の北方風光明媚の地笠井山山頂に、“山学道場”を建設し、生徒指導にユニークな一面を切り開いて、世間の注目を集める。
昭和50年 創立88周年記念式を挙行。市内葦川会館にて、学園米寿記念展を開催し広く社会に本校の年輪を認識してもらうと共に、将来の展望を確立しようとする。
昭和52年 創立90周年に当たり、図書館・ホールを含む敢為会館を建設。学園の中心部に、アカデミックな偉容を添える。
昭和57年 岡山市箕島に中高一貫教育をめざし、岡山中学校を開校。
昭和60年 岡山高等学校を開校。
昭和62年 創立100周年を迎え、岡山県武道館において盛大な記念式典を行う。
平成元年 岡山市楢津に第2グラウンドが完成。校務処理・授業活用に際して大型コンピュータを導入し、情報システムの充実をはかる。
平成 5年 地上2階(一部3階)延面積4,467平方メートルで県下高校では最大規模の新体育館(敢為体育館)が完成する。
平成 9年 創立110周年に当たり、ジェームス三木氏の講演会を開催する。
平成11年 中央廊下西側の老朽化した4校舎を取り壊し、エアコンを備えた近代的な新校舎が完成。また、これと同時に旧校舎をリニューアルし、全教室にエアコンを備える。さらに新校舎と敢為会館との間の中庭及びグラウンドの整備を行う。
平成12年 10月の鳥取西部地震により、昭和42年よりシンボル的存在の鷲が降ろされる。
平成17年 旧校舎の改装を行うと共に、駐輪場や各部室の新設及びグラウンドの照明施設等の校内環境整備と充実をはかる。
平成19年 創立120周年を迎える。
鷲の像を再建する。

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